やくそく する 僕はずっとここにいると

精いっぱいの愛を言葉にすることを 恐れず、怠らず。

連続ドラマW北斗 -ある殺人者の回心-

 

中山優馬は、北斗を生きた。

 

このドラマを語るには、もはやこの一文で充分なのではないだろうか。

 

なかなか見る時間が取れず、

GW中に第二話から最終話を通して観るという暴挙に出ました。

でも

4時間弱、という時間を全く感じさせない作品でした。

今までに見たこともないような作品。

ドラマなんて枠には到底収まらない。

かといって映画のよう、なんて言葉にも留めたくはない。

ただひとまず私の感覚では、

端爪北斗というひとりの人間の壮絶な人生を映画のように撮った

ドキュメンタリーを見届けたような気分だな、

と感じました。

それくらい生々しいものでした。

 

最終話の後半、端爪北斗の意見陳述の場面

確かに北斗をそこに感じた。

北斗の感情や苦しさを

直接、心で感じた。

苦しいね、苦しいね、っと思った。

そうして苦しみながら心の壁を壊し

感情を、人の心を取り戻していく北斗から

目を離せなかった。

これが映像だってことを

忘れた。

 

 

実際、

現実では、人が自分の気持ちを伝えようとする瞬間というのは

人を引き付けるもの。

心を揺さぶるもの。

感動するもの。

ではないだろうか?

一所懸命に言葉を絞り出し

気持ちを曝け出そうとしているのを目の当たりにしたときに

退屈だなあ、なんて思う人があるだろうか。

ただ、それが

ドラマや映画となると

役者が一人、喋るだけの場面というのは

その人そのものの感情ではないために

面白い画になり得ないのかもしれない、普通は。

しかしそれをこの『連続ドラマW 北斗 -ある殺人者の回心-』という作品は

映像で、成し遂げている。

まるで自分が法廷にいて、

端爪北斗の意見陳述を聞いているような。

愛されることなく虐待を受けて育ち

お母さんの愛を知り

そのお母さんを失い

詐欺で最期の時間をめちゃくちゃにされた

その悲痛さが

その苦しみが

容赦なく自分の心に突き付けられ

漸く法廷で裸になれた北斗の心と

対峙しているような気になった。

ただただ、

北斗をそこに感じた。

 

映像でそう感じさせるというのは

当たり前のようでいて、非常に難しいことだと思う。

だからこのドラマは凄いのだ。

 

そしてそれは、俳優・中山優馬なくしては成し得なかっただろう。

百聞は一見に如かず。

やはり見なければわからないものだ。

ここまでだったとは。

演技が上手いとか、良い芝居だとか、

そんな野暮な言葉で片付けられるものではなく。

 

そこに北斗が存在していたとしか言いようのないお芝居、

いや、そんなお芝居という言葉でさえ無粋に感じるような、

境地に達した存在感に魅せられた。

 

瀧本監督の仰っていた

「この瞬間が撮りたかったんだ、これを撮るために3年かかったんだ」

というのは、こういうことだったのか、と肌でわかった。

 

優馬くんは

凄い俳優になったのだなあ。。

 

誇らしくて誇らしくて。

ほんとうに優馬くんのファンであることが誇りです。

なんだか、誇りだなんて言うのも最近は恐れ多くなってきてしまったなあ!

 

 

月並みな表現ですが、

北斗を生ききったことは、

優馬くんにとって大きな、かけがえのない財産になったのだと思います。

 

そして

見る人はちゃんと見てくれている、と信じています。

 

優馬くんの真っ直ぐすぎる程ひたむきな

努力や想いが

優馬くんの未来に素晴らしく繋がっていきますように。

 

優馬くんが出ていなければ見ることはなかったであろうドラマだけれど、

苦しい苦しい作品だけれど、

そんな作品に全力で向き合って、見せてくれてありがとう。

ほんとうにお疲れさま。

 

Ayana

 

p.s.

Blu-ray発売決定、おめでとう!

発表までに時間がかかったのはそれ程丁寧に作っていただけたのかな、と嬉しく思います。

今まで以上に沢山の方に観ていただけますように。